top of page

1分で記載完了かんたん査定フォーム

個人情報保護方針に同意したものとします

5営業日で記載のメールアドレス宛に返信いたします

東京の出生率1割れと、豊平の田んぼ10件——200年の物差しで、いまを読む

  • 7月19日
  • 読了時間: 9分

更新日:8月11日

二つの数字を並べてみます。

一つは、東京都の出生率が3年連続で1を割ったこと。2025年の日本全体の出生数は67万1236人で、統計が残る明治以来もっとも少ない数字になりました。国の推計より17年早いペースだそうです。

もう一つは、茅野市豊平の田んぼが、この1〜2年で10件取引されたこと。20年以上この地域の現場を見てきた私にとって、これは異常な数字です。

日本でいちばん人が集まる場所で子どもが生まれにくくなり、新幹線からもリニアからも外れた山麓で、20代から40代の方が田んぼを買っている。この二つは別々の出来事ではなく、同じ一つの変化の表と裏だと私は読んでいます。

この記事の内容

・なぜ東京では子どもが生まれにくくなっているのか ・200年後、東京と八ヶ岳西麓はどうなっているのか ・東京の200年後は、どこを見れば想像できるのか——京都の160年 ・AIの時代、若い人はどこで働き、どこで暮らすのか ・なぜ、いま田んぼが売れているのか——豊平の10件 ・200年の話は、明日の暮らしとどうつながるのか

なぜ東京では子どもが生まれにくくなっているのか?

人を集める仕組みは、集めた先で暮らしを再生産する仕組みを持っていないからです。

東京という都市は、効率の点では非常によくできた仕組みです。仕事も、教育も、医療も、文化も、集めれば集めるほど便利になる。戦後の日本はその原理で成長してきました。

ただ、この仕組みには一つ前提がありました。地方で生まれ育った若い人が、絶えず流れ込んでくることです。都市は昔から、人を吸い込む場所であって、人を育てて増やす場所ではありませんでした。江戸の時代からそうです。それでも成り立っていたのは、地方に人の供給源があったからです。

その供給源が、いま細っています。出生数67万人という数字は、都市の問題である以上に、「集める仕組み」全体が一巡したことを示す数字だと思います。

日本の出生数の推移(1899〜2025年)出典:厚生労働省 人口動態統計

そしてもう一つ、集める力そのものにも変化が来ています。東京に人が集まる理由は、突き詰めれば進学と就職の二つでした。大学があり、本社があり、そこへ行かなければ得られない学びと仕事があった。ところがAIが事務や企画といったオフィスの仕事を担うようになると、都市が用意できる仕事の「量」が細っていきます。工場の現場が機械化で人を減らしてきたのと同じことが、これからはオフィスで起きる。逆にAIに置き換わりにくいのは、田畑や森や建物の現場で、土地と人に向き合う仕事です。仕事の価値が現場のある場所へ戻っていくなら、若い人が東京へ向かう二つの理由は、これまでのようには働かなくなります。

住まいの面でも同じことが起きています。数百世帯で一棟を共有する高層マンションは、建てるときは合理的ですが、数十年後に修繕や建て替えの合意を取る仕組みまでは持っていません。集める仕組みは、時間に対して弱いのです。

200年後、東京と八ヶ岳西麓はどうなっているのか?

東京は消えません。ただ、「全国から人と資本を吸い上げる装置」という役割は解除され、いくつかの拠点の一つに戻ります。

200年というのは極端な物差しに聞こえるかもしれませんが、土地を扱う仕事では実際に役に立つ長さです。都市が終わるのではなく、役割が変わる——そして、その変化を先に体験した都市が、実は国内にあります。

一方の八ヶ岳西麓には、参照できる過去があります。縄文時代の中期、この山麓は日本でもっとも人が密集した土地の一つでした。茅野の尖石がその証拠です。当時はいまより気候が暖かく、標高1,000m前後の帯で、水と日射と森を組み合わせた暮らしがもっとも成り立ちやすかった。

そして、その後を隠さずに書きます。縄文の中期が終わる頃から気候は寒冷化に向かい、山麓の集落は衰えていきました。つまりこの標高帯は、暖かい時代には適地になり、寒い時代には厳しい土地になる——その反転を、栄えた側と衰えた側の両方で、一度歴史の中で実証しているのです。

だから、気候が長い周期で温暖化に向かういまの局面で、標高900〜1500mの帯が農の適地としてもう一度浮かび上がるのは、予想ではなく反復だと私は読んでいます。しかも現代には、縄文の人々が持たなかった備えがあります。断熱と気密の進んだ建物、複数のエネルギーの選択肢。寒さ側への振れに対する耐え方が、当時とは比べものにならない。追い風を受けつつ、逆風への備えも厚い——標高帯にとって、歴史上はじめての条件です。

ただし、これは自動的に起きる未来ではありません。この地域に残っている区・畑・山林という三つの基層が、これからの取引の中で保たれるか、切り売りされて失われるか。分かれ道は200年後ではなく、これからの50年にあります。

東京の200年後は、どこを見れば想像できるのか?

京都です。首都の座を降りてから約160年たった都市が、その先の姿をすでに見せています。

京都は794年から1868年まで、千年あまり都でした。都の機能が東京へ移ってからの約160年間は、「集める装置の座を降りた都市がどうなるか」を示す、日本で唯一の実測記録です。ちょうど、いま私たちが東京について考えている200年の物差しの、先を歩いている都市だと言えます。

京都で残ったものと消えたものを見ると、はっきりした傾向があります。残ったのは、祇園祭に代表される祭、町内の自治、寺社、職人の仕事——足元の共同体に千年かけて蓄えられてきたものです。消えたのは、政治や集約の機能そのもの。都市の残り方は「何を集めていたか」ではなく「足元に何を蓄えていたか」で決まる。これが京都の教えだと思います。

同時に、京都はもう一つの姿も見せています。集める機能を失った都市が、観光——訪れる人に消費される経済——への依存を深めていく経路です。いまの京都は人口が減り続け、出生率も全国で最低の水準にあります。都の器は、都でなくなった後も、暮らしを再生産する場所には戻らないのです。

東京に当てはめると、こう読めます。200年後の東京で残るのは、超高層でも再開発の街区でもなく、江戸以来の祭と町内が生きている場所でしょう。ただし正直に言えば、東京は京都に比べてその蓄積の層が薄い。足元の共同体を薄めながら大きくなってきた都市だからです。「東京の未来は京都を見ればわかる」——ただし京都は、いちばん上手に降りた例なのかもしれません。

AIの時代、若い人はどこで働き、どこで暮らすのか?

働く場所と暮らす場所が、切り離せるようになります。就職の中心が東京に残っても、暮らしの中心は動きます。

AIがオフィスの仕事を圧縮したあとも、人の手を必要とし続ける仕事があります。共通するのは、身体がその場にないと成立しないことです。介護や医療の現場。戦後に一斉に整備された道路・橋・水道・建物の更新工事。工場は自動化で人を減らす側ですが、国内に戻ってくる工場は土地と水と電力で立地を選ぶため、行き先は最初から地方です。つまり、これから人手が要る現場は、ほとんどが東京の外にある。就職の地図が、上りから下りへ描き替わっていきます。

そしてもう一つ、まったく別の道があります。会社は都市のまま、暮らしだけを動かすという道です。収入は今の仕事から得て、住む場所は自分で選び直す。この形の利点は、戻れることです。会社を辞める必要がなく、暮らしが合わなければ引き返せる。大きな決断ではなく、可逆的な引っ越しとして始められます。

拠点を分ける理由は、働き方の変化だけではありません。気候が長い周期で暖かくなる流れは、山麓には追い風ですが、海に近い低地の大都市には、海面の上昇と豪雨の激しさという別の顔を見せます。企業が災害に備えて本社の機能を複数の場所に分けるように、家庭の暮らしの基盤も一箇所に集めない——二つの拠点を持つことは、贅沢ではなく、設計の一つになりつつあります。標高900mを超える内陸の盆地は、その分散先として構造的に理にかなった場所です。

実際には、この二つの道は入口と奥の関係にあると私は見ています。暮らしだけ動かした方が、数年のうちに畑を始め、区の役を一役だけ薄く引き受け、地元の仕事を一つ二つ手伝うようになる。働くことと暮らすことが、少しずつ同じ土地の上で重なっていく。豊平の田んぼの買い手にも、この道筋の途中におられる方が多いはずです。

八ヶ岳西麓は、この両方を受け止められる希少な土地です。諏訪地域には精密工業の集積があり、地元に現場の仕事がある。リモートの仕事と、地元の仕事と、自分の畑。この三つを一つの暮らしの中で組み合わせられる場所は、全国でもそう多くありません。

裏返せば、東京はこうなります。雇用の中心であり続けながら、人口の中心から降りていく。会社の住所と、人の暮らす住所が、離れていくのです。

なぜ、いま田んぼが売れているのか?

買われている理由が、価格ではなく暮らしの設計だからです。

豊平の10件の買い手は、ほぼ全員が自給を口にされます。米を自分で作りたい。畑と田を両方やりたい。区に入るのは構わない、むしろ入りたい。20代から40代の方が、最初の希望条件としてこれを挙げてこられます。

【朝倉所見】 5年前、田んぼ単独の物件は「売れないもの」の代表でした。査定の場でも、正直にそうお伝えするしかなかった。それがこの1〜2年で、同じ条件の物件に同じ希望を持った方が続けて現れている。私は現場でこの変化を見て、評価の物差し自体を作り直しました。東京で出生率1割れのニュースを読んだとき、腑に落ちたのはこのためです。集める側の仕組みに限界を感じた人から順に、暮らしの基盤を自分の手元に置き直す側へ移っている。田んぼは、その移動がいちばん形になって見える商品なのだと思います。

200年の話は、明日の暮らしとどうつながるのか?

「流行っているから」ではなく「自分の暮らしをどう設計するか」で選ぶための、背景の理解として使ってください。

正直に書いておくと、この地域の暮らしには冬があります。薪の準備、水回りの凍結対策、雪の朝の段取り。区に入れば、一役を薄く引き受ける場面もあります。コロナ以降、区の側も集まりを簡素にし、新しい方に入りやすい形へ変わってきていますが、それでも都市のマンション暮らしとは別の設計が要ることに変わりはありません。

それを負担と読むか、自分の手で把握できる暮らしと読むか。どちらが正しいという話ではなく、構えの違いです。ただ、200年の物差しで見たとき、どちらの構えに時代の追い風が吹いているか——私はその読みを、この土地で自社買取という形で実行しています。

田んぼや畑のついた物件のご相談は、売る側も買う側も、遠慮なくお寄せください。店は開けてあります。

この記事の次に読むなら

出生率と田んぼが同じ話に見えてくる背景を、80年の流れで書いています。

数字の裏で実際に動いている現場です。御柱街道沿いで何が売れているか。

現場の感触は業者139社の回答にも出ています。地価の実数と合わせてどうぞ。

最新記事

すべて表示
マンションの管理会社が、小さな物件から「採算が合わない」と手を引き始めた——外に任せる暮らしと、支え合う暮らし

2026年7月の報道で、管理会社が小規模マンションに突然の解約を通告するケースが相次いでいることが明らかになりました。理由は明確です。人件費や資材費の高騰により、一定の戸数がなければ委託管理は採算に乗らないのです。ある大手は「40〜50戸が採算ライン」と語り、それに満たない物件は「委託先を探すのも難しい」状況だといいます。 これは一見、マンションだけの話に見えます。しかし、同じことがもっと大きな場

 
 
Frame 83.png

会員登録

Frame 83 (1).png

お問い合わせ

bottom of page